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天狗面の由来
天狗面の由来 (略)


大島若狭守、(略)
秩父坂東四国西国霊場百八十八箇所を巡拝し、緒災消除の為讃岐の金毘羅様を観請し、向戦場に昔より在った妙音寺へ祀ったものである。
(略)
文政初年に当所の西福寺に併合し、天狗面も西福寺へ移し祀って妙音寺は廃寺となり部落も絶滅した。
(略)
小島滝蔵、再三に及ぶ罹災により金毘羅様を信仰し霊場巡拝を発願し、西福寺の天狗面を背負ひ三年の年月を経て百八十八箇所を巡回して帰り、面は西福寺へ納め、谷草の天王様の並の処へ経文を埋めて供養塔を建て、七日間に渡り村中の人々や親類縁者を招いて供養の祝宴を行ったと云伝へられる。
(略)」

田野倉次郎(倉坊)、同じく天狗面を背負ひ、霊場百八十八を巡拝して帰り、面は西福寺へ返し祀り置く。
倉坊様は、谷草の大日様に参籠して居り、非常に法力の強い行者で禁在の病人多数を祈禱によって救い、 (略) 、霊場参りは十二度行ひ、十三度の旅に出達して四国の伊予の国で没した。
明治二年神仏分離に依り、天狗面は赤城神社へ移されたが、数年にして「姿ある神は合祀できぬ」との令により、愛宕山頂に現在の社殿を造営し、其所に古く祀りあった愛宕山と並べ祀った。


明治十五年
(略)
「大焼」の折には、金毘羅様を境に西側及び南側一帯を焼払われたが、天狗様の神威の致すところか、奇跡的にも罹災を免れた。
明治三十九年の神社併合の勅令により、同四十年三月、堂の入りの天神様と共に赤城神社へ写し祀ったが其時、天狗様は山頂の住み心地が好きになっての故にか夜な夜な白い鳥と化して山頂に向かいとびあがったと言伝へられる。依って再びめんを山頂に安置して琴平神社として祭祀したのである。
(略)
愛宕山琴平神社 天狗面の由来 併 修復の記より
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