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愛后山琴平神社天狗面の由来(筆者:中田稀介氏)
愛 后 山 琴 平 神 社
天狗面の由来
併 修復の記
昭 和 四 十 七 年 五 月 吉 日
勧 進 元 中 田稀 介
天狗面の由来
抑も愛后山琴平神社の天狗面は 、今を去る百五十四年前 、文化年中の末 、戦場に住す現当主大島猪之吉氏の六代の祖にて 、秩父神社の神官を務めし大島若狭守 、若年の頃より修験者と成り 、秩父阪東四国西国の霊場百八十八箇所を巡拝し 、諸災消除の為讃岐の金毘羅様を勧請し 、向戦場に昔より在 った妙音寺へ祀 ったものである 。
妙音寺は 、昔は 「妙音寺入 」又は 「向戦場 」と呼び現在は 「堂ノ入 」と称す所に在り 、往時は十余の戸数在り古くより栄えた寺で有ったが時を経るに従い戸数漸減し 、寺も衰退して維持できず 、文政初年に当所の西福寺へ併合し 、天狗面も西福寺へ移し祀 って妙音寺は廃寺となり部落も絶滅した 。
降 って弘化元年 (百二十八年前 )谷草に住す現当主小島米三郎氏の五代の祖 、小島滝蔵 、再三に及ぶ罹災により金毘羅様を信仰し霊場巡拝を発願し 、西福寺の天狗面を背負ひ三年の歳月を経て百八十八箇所を巡回して帰り 、面は西福寺へ納め 、谷草の天王様の並の処へ経文を埋めて供養塔を建て 、七日間に渡り村中の人々や親類縁者を招いて供養の祝宴を行 ったと去伝へられる 。
其後安政年中 (百十余年前 )当所の現当主田野鶴由氏の六代の祖倉坊様と称す行者 、田野倉次郎 、同じく