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田野山西福寺の由来

西福寺
西福寺
西福御前の墓
西福御前の墓

田野山(でんやさん)西福寺の由来

今を去る事四百余年世は戦国の頃、当所の龍界山頂に龍界城が在り、鉢形北条氏邦の臣用土新左衛門城主となり、今は前山と呼ぶ共同墓地の西隣りに館を構へ、此の地方一帯を支配して居り、内室西福御前の御霊を祀って寺を建て、要害山西福寺と称したと語伝えられている。

(略)

元亀三年西福寺の大樹の上高く竿を立て高灯籠を掲げ、下には多くの行灯を燈してお祭をした。



 

用土新左衛門の館 昔の西福寺があったと伝えれれる前山。
用土新左衛門の館 昔の西福寺があったと伝えれれる前山。

其後江戸時代の初め元和年中(三百五十余年前)高灯籠を風に落とされ、其の火に依り寺を焼失した為現在の地に寺を移し再建し山号を改め田谷山西福寺と成し、高灯籠は廃し百八灯の行灯のみ燈し、赤城様のお祭をも同時に行う様になったと謂れている(今は山号を田野山と書くも田野(たの)にあらず田野(でんや)である。)

赤城大神社略記(中田希介氏著)西福寺はより


下田野行灯祭りデジタルアーカイブ

 

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