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龍界城について(教育委員会)

竜ヶ谷城とは

竜ヶ谷城は、戦国末期に関東一円を支配した後北条氏の山城です。城の構造と特徴が花園城(寄居町)や天神山城(長瀞町)と似ていることから、鉢形城主・北条氏が婿入りした藤田氏によって築城され、後北条の手で整備されたと考えられます。高松筋や舘澤筋など、下野や信濃への道も交わる秩父盆地入口に位置する竜ヶ谷城は、他の山城や砦とともに周辺監視や情報伝達、事態対応にあたりました。


 氏邦の治める鉢形城は、越後上杉氏による侵入をたびたび受け、甲相駿同盟決裂後は甲斐武田氏との軍事的緊張下に置かれました。

 永禄三年(一五六〇年)から翌四年の上杉氏による関東侵攻では、竜ヶ谷城は、後北条氏の攻撃で降伏した高松城の人質を預かる場として古文書に名を残します。

 

 


永禄十二年(一五六九年)と元亀二年(一五七一年)には武田信玄が秩父に侵攻、特に後者では「人民断絶」と言われるほどの被害が生じたとみられ、竜ヶ谷城周辺でも戦いがあったとされます。

 天正一八年(一五九〇年)の豊臣秀吉による小田原城攻めによって鉢形城が落城したことに伴い、竜ヶ谷城も廃城になったと考えられます。

~出典  皆野町教育委員会 竜ヶ谷城の見どころと歴史~


下田野行灯祭りデジタルアーカイブ

 

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