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行燈祭りの由来

行燈祭由来

行燈祭りは西福寺に於いて始められた。

(赤城大神社境内と西福寺を結ぶ前山道の行灯)

(略)

行燈祭は

(略)

永禄十二年、甲州武田信玄の勢と当所の小字「戦場」に於いて激しく戦って討死した将兵の御霊を弔って元亀三年西福寺の大樹の上高く竿を立て高灯籠を掲げ、下には多くの行灯を燈してお祭をした。

其後江戸時代の初め元和年中(三百五十余年前)高灯籠を風に落とされ、其の火に依り寺を焼失した為現在の地に寺を移し再建し山号を改め田谷山西福寺と成し、高灯籠は廃し百八灯の行灯のみ燈し、赤城様のお祭をも同時に行う様になったと謂れている(略)

其後漸時行灯の数を増し、寺より赤城様に達する二つの道筋に二百を越して燈されるようになり、明治二年神仏分離の節、行燈祭は赤城様の祭となった。

以来益々行灯の数を増し、今では三百余灯となり、討死んだ将兵に、おのも、おのもの先祖の御霊に、平和と息災を願う燈し火は下田野の里を明りの輪に結び、春の彼岸の宵を幾歳せ変わらず燈され続けているのである。

赤城大神社略記(中田希介氏著)  行燈祭と西福寺より

下田野行灯祭りデジタルアーカイブ

 

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